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 まだ中学生のころ読んだアメリカの小説の中で、「さらの自動車」という言葉が記憶に残っている。

 アメリカのジョージア州オーガスタの郊外のあたりの話であったと記憶している。 それ以外は筋書きも含めすべて忘れ去っているが、妙にいつも思い出されてきていた。

 オーガスタの小説という事を頼りにググって、どうやらコードウェルの小説らしいことが年代の照合から見えてきた。

 あるもんですね。 アマゾンはあまり好きではないのですが、かつて出版された書物なら誰かが大切にとっておいて「中古」で出品している。 

 図書館の資料室の役割を果たしているといっていい。

 「短編集(1)」と「タバコロード」というのが出ていて両方取り寄せて読んでみた。

2017-01-tobacco_road-001.jpg ありましたね。

 「タバコロード」に「さらの自動車」という言葉が。

 原作は作者アースキン・コードウェルの1932年の作品で、日本語訳は1952年杉本喬氏によるものです。

 「タバコロード」を読み直してみたりして、わかってきたことがいくつかあります。 

 この「タバコロード」というのは映画(1941年)にもなっていて、半世紀も経って日本にも1988年に上映されたらしい。 この映画で「タバコロード」を知っている人もいるようだ。

 小説の舞台は1930年頃のアメリカ南部のオーガスタ郊外の工業化の波に取り残された綿花栽培農村で、主人公はジーターという「救いようのない」貧しい白人農民の話です。

 彼の祖父がいたその75年ほど前にタバコ栽培をしていてタバコロードを整備していたが、次第に土地も痩せていき、ジーターの頃は綿花栽培に変えている。

 この「タバコロード」、これは桟橋のあるサヴァナ河の崖っぷちのところまで乾燥したタバコの葉を詰めた大樽を転がして行く道で、15マイルぐらいのから1マイル程度のものまで何本もあったと書いてある。

 グーグルマップで探してみるとオーガスタにサヴァナ河まで伸ばすと15マイルほどになるストリート名でTobacco Roadがありました。 これだと思います。

 ジーターと妻であるエーダの間になんと17人の子をもうけたというんですからすごいですね。

 5人が亡くなって10人は成人して家を出ているというんですから、普通だったら左うちわってとこですか、綿花の種も肥料の前借もしてもらえない一文無しです。

 1930年ごろというと日本で言えば昭和5年頃。 何故かその頃は日本でも兄弟姉妹が10人なんていうのはざらにいた時代です。 

 この時代、日米共にでこんなに子沢山といいう家族があったというのは興味深いですね。

 アメリカではいくらでも農地は拡張できたし、工業化で人はいくらでも仕事はあった。 日本でも海外進出や工業化で農村からいくらでも人を吸収する余地があったという事でしょうか。

 さて、みんなが大騒ぎする「さらの自動車」というのはどんな自動車だったんでしょうか。

 車はフォードを買いに行ったので、まず浮かんだのがフォードのT型。 話の中で天井が幌になっていることだけは分かりました.

 それに何を称して「さら」と言ってるのか? 訳者がどんな英文を「さら」と訳したのか?

 サラブレッド(thoroughbred) からの連想から 「thorough automobile」か?

 昔読んだときは何か皿と関係があるのかな?と漠然と理解できないでいました。

 貧しい百姓にとってはポンコツ車が普通でしたから、ピカピカの新車に大興奮したんですね。

 新車ということで、まっさらの車で「さらの車」としたようだ。 まあ、新しい車という事でしょうね。

 原文のペーパバック版を取り寄せてみた。 「brand-new automobile」、まっさらの自動車という事ですね。

2017-02-tabacco_road-001.jpg

 がらりと変わって、エンディング:

 原作ではジータと妻は、春の野焼きの火が、明け方の強風かなんかで、ぐっすり寝ている小屋に火が移り焼け死んで、周りの者は「これでよかったんだ」なんて言って、貧農夫婦の最期で終わるんですが、Uチューブで観る映画では違っています。

 土地を所有することになった銀行のオーナーがやって来て、年間の地代100ドルが支払えないのが分かると、これを最後に開け渡すように、出ていけと言い渡される。 わずかな身の回りの物を抱えてあてもなく、多分救済施設に向かって望みを絶たれ寂しく歩いていると、元の地主のティムとかいう人の運転する車に出会い、気が付くと元の小屋に連れ戻してくれていて、土地代金の半分は払ったから、これで作物を育て生活をたて直せと10ドルを渡される。

 これを手にはかなくも出来るかわからない夢を語るシーンで終わっています。 アメリカ民謡「パブリック賛歌(と言うらしい)」の曲をバックに、はかない貧農の夢を追って感傷深いエンディングです。 原作と違いひと筋の光を与えています。

 それにしても、車で送り返されるときの、うとうとと寝ているるジータの目からの一筋の涙、妻エーダのじっと宙を見た虚ろなこの先の絶望的な表情は、前半のドタバタとは違い、悲しい貧農のこの映画のすべてを物語る余韻に満ちたものです。 

 さすが演技力の高い名映画ですね。

 以上、長らく気になっていた「さらの自動車」、「タバコロード」の話でした。