金沢市泉にある念西寺に行ったことがあります。 そこは加賀千代女が剃髪後起居し晩年を過ごした尼寺で、千代女自身が使っていた井戸はゆかりのものということで、今は屋内に位置していて、大切に守られています。
そこでは尼寺の維持費ねん出のためか、例の「朝顔に つるべとられて もらい水」の句を染めた手拭いを分けています。
この句は若い時のものだそうですから、これはその井戸とは言っていませんが、千代女が使っていて、増築しても、普通なら撤去移設なんかしてしまいそうなんですが、もらい水をしたくらいの感性の持ち主ですから、彼女も増築の間取りなんていう俗っぽい事よりも、釣瓶井戸をそのままを優先して残したんでしょうね。
今も名を残しているのが、朝顔であり、釣瓶井戸なので、千代女のその時の気持ちを大切にして、今の尼さんもこの井戸を守っていました。
写真の柱に、千代女の句を染めた手拭いとか、ここのパンフレットがあります、という案内が貼ってあります。 両方いただいて帰りました。
井戸を覗かせていただきました。 今は使っていないようですが、使おうと思えば今でも使えるように、水をたたえていました。
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念西寺を訪れた翌年2009年春、東京散歩のおり、港区の魚籃坂を上る辺りに、小さなお寺が多い寺町なのですが、その一角に薬王寺というのがあって、その中に、何と、俄かには信じがたい、加賀の千代女の詠んだ句の釣瓶井戸と称している井戸があるんですね。 念西寺行った後でしたから、これには腰を抜かしてしまいました。
いかにも、さあ寄ってらっしゃい!というような、人集め然とした大きいな石に千代女の朝顔の句が彫られていて、脇の説明に、諸国歴遊の途中に立ち寄った、とありました。
この句は若いころの句だということなので、当時は今よりずっと精神年齢は高かったと思うので、郷里の「千代女の俳句館」の年譜を参考に、俳句の勉強を始めた12歳ごろ(年齢は数え年)から、嫁ぎ、夫に死別して実家に戻った20歳ごろまでの、多感で純粋な心を持ったころの句ではないかと、勝手に想像しているのですが、そうだとすると、句の釣瓶井戸は郷里あるいはそこから程遠くない所で、千代女が生活に毎日使っていたんじゃないかな~
朝顔の芽がぐんぐん伸びてきて釣瓶に届きそうになる。 もう少しよ、なんて言って、翌日にはひと回りぐらいロープにタッチする。 かわいそうだからそのままにしておこうなんて、周りの大人も子供の気持ちを大切に見守ってあげているうちに、芽が絡んでいるのを剥がそうなんて、かわいそうで出来なくなって水汲みが出来ないで、もらい水に行く。 こんなの大人がやるか?
35歳の時に、「朝顔や」に詠みなおしているというので、35歳でかなり心境の差があるんだろうから、かなり若いころじゃないのか?
旅先で、井戸に朝顔が絡まるまで使ってない井戸の青臭い水を汲むように思えないんだけど。
しかも、「霊水であるとの噂を耳にしてここへ立ち寄った」というんですよ。 わざわざ霊水を目的に江戸まで来で、あっさり他の井戸にもらい水しちゃったの?
当時の娘、あるいは病の夫を抱えた嫁が、江戸まで歴遊するなんて、想像だに出来ないんですけど。 後家になってから、23歳の時に京都と伊勢に参詣しているようなんですが、それが普通の感覚ではないかなあ~
全国を歴遊したのであれば、当時から名の通った加賀千代女でしたから、各地にその足跡があると思うのですが、足跡は薬王寺のこれだけですか?
上の写真は薬王寺にある、井戸と石碑です。
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